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洞源院について

洞源院ご本尊

保育園設立の経緯

洞源院について

人の生死と向き合う

~曹洞宗「禅の友」平成24年2月号より~

避難者には家族を失った人も多い。奥さんの手を握って逃げていたにもかかわらず、津波に呑まれたときに手が離れ、奥さんを失った人もいた。「家もなくなった、妻も亡くなった、何もかもなくなった。生きる意味がない」と失意のどん底にいた。そして、「戒名はいらない。葬儀の必要もない」と言う。

「あなたが元気にしていないと、奥さんが救われないでしょ。あなたが元気でいることが、奥さんにとっての喜びでもあるのよ」と住職の奥様の美紀さんは、優しく声をかけた。

「でも、どうやって供養したらいいのかわからない」と言うので、「毎朝、お勤めの前に、皆さんの位牌にお茶と水をあげて、手を合わせて」と頼んだ。彼はその後、一日も休むことなく行い続けた。そのうちに雑務にも積極的に関わってくれるようになった。

そんなある日、「ここに避難して来た人に参列していただいて葬儀を行って欲しい」と小野﨑住職に頼んできた。そして、葬儀の後には、「いい葬儀ができました。これから自分が生きていく上での支えになりました」と朗らかな表情に変わっていた。

人の死に際し、成仏してもらえるように導くとともに、これからも生きていく人に一つの区切りをつけてもらうのが葬儀。そして、七日ごとのお勤めを通じて、死者を仏の世界に無事に送り届けると同時に、亡くなった人への気持ちを少しずつ解き放っていく。その一つの区切りが四十九日です、と小野﨑住職は語ってくれた。

洞源院での避難生活で、人々は多くの出会いをし、さまざまに向き合ってきた。逃げることなく現実と向き合ってきた。その結果、人は、悲惨な状態にあっても、一つひとつの事象と真摯に向き合うことによって、強く、明るく生きていけることを学んだといえるのではないだろうか。

~曹洞宗「向き合う 東日本大震災」より
 洞源院住職 小野﨑秀通~

高台にあった拙寺は続々と避難者で埋め尽くされ、3日後には400名を越えるほどになり、立錐の余地もない状態となった。

寺に救いを求めてきた地域住民の生命の確保を優先しようと、堂内に散乱し破損した仏像、仏具、香炉の灰などを慌ただしく片付け、人々の受け入れ体勢づくりに奔走した。

「洞源院避難所」を開設し、8月7日の解散式を迎えるまでの5ヶ月間、避難者の誰もが事故もなく元気に仮設等に移る事が出来た。お互いに力を合わせ、知恵と努力が功を奏したことにほかならない。

大地震が起こってから1週間、陸の孤島と化し、支援物資が届かない中、寺にあった物資と皆で協力して得た物で飢えと寒さを凌いだ。非常な事態の中で知恵を働かせる活動には目を見張るものがあった。

不自由な生活をいつまでしなければならないかと、不安で過ごす避難者や、お寺に集まった皆で支え合えるように、8ヵ条の約束事を決め、朝食の後にミーティングを開き、毎日話し合い協力の輪を深められた。

やがて、全国の支援物資やボランティアの人々の支えられて、避難者の笑顔が出るようになり、子どもたちの元気な様子に、明るさが蘇ってきた。

更に寺での避難生活は、住職と共に朝の勤行に参加し、仏の慈悲光明を頂き、安らぎのひと時を持てたことで、癒され穏やかな生活が出来たと思われる。